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盛岡家庭裁判所花巻支部 平成6年(家)303号 審判

申立人 大谷由佳利

相手方 大谷進

事件本人 大谷みき

主文

本件申立てを却下する。

理由

1  申立ての要旨

申立人と相手方とは平成5年11月24日に婚姻の届出を了した夫婦であり、平成6年2月23日に事件本人をもうけた。申立人と相手方は、同年6月ころから夫婦仲が険悪化したので、同年9月7日、それまで居住していたアパートを引き払って別居することとしたが、その際、相手方の父親から、事件本人を祖母に見せるのでちょっと預からせてほしいと言われ、同年9月末日には必ず連れて来ると約束したので事件本人を相手方の父親に渡したが、相手方は、同日になっても事件本人を返さず、かえって事件本人を手放さないなどと言っている。

よって、申立人に事件本人を引き渡すことを求める。

2  当裁判所の判断

(1)  本件記録によれば、次の事実が認められる。

ア  申立人と相手方は東京で知り合い、平成3年6月ころから同棲を始め、平成5年8月に申立人が妊娠したことが判明し、平成5年11月24日に婚姻の届出をした。申立人は、平成6年2月23日に事件本人を出産し、約1か月くらい肩書地である申立人の実家で過ごした後、東京都品川区○○○のアパートに事件本人とともに戻ってきた。

イ  相手方は平成6年1月から埼玉県戸田市にある印刷会社に勤務していたところ、申立人は、事件本人を出産してアパートに戻ってきた後、勤務を終えて帰宅した相手方に事件本人を預けて夜間外に出歩くようになり、始めのうちは週に1、2回であったが、次第に頻繁になりほとんど毎日のように夜間外に出歩くようになった。そして、申立人は、相手方と同棲後に知り合った相手方の友人である小野真との交際を続けており、相手方が注意しても、改まることはなかった。

このような状態が続いていた中で、平成6年7月10日、相手方が洗面所で手足を洗おうとしていたところ、突然洗面台のパイプが折れてしまい、その結果、相手方が足の裏を切断するという事故が起こった。相手方は、直ちに救急車で○○○脳神経外科に運ばれて応急措置をしてもらい、○○○○病院で手術を受けて、翌日から○○○○○病院に入院した。相手方は同病院に10日間入院したが、申立人は、相手方が退院すると、以前と同様に相手方に事件本人を預けて夜間外に出歩いた。相手方は申立人に注意したが、相手方がこれに耳を貸さないことから口論になり、次第に夫婦仲が険悪化して、離婚の話が出るようになった。

ウ  平成6年7月31日、相手方は、上京した相手方の父大谷康史(康史)とともに、申立人の実家を訪れて、申立人及びその両親と今後のことについて話し合い、一旦は事件本人を相手方が引き取って離婚することにしたが、翌8月1日、申立人及び相手方は、それぞれの父を交えて話し合い、もう一度やり直すことに決めた。しかしながら、同日、康史が岩手に帰った後、申立人が夜間外出しようとしたことから口論になり、相手方としてももはや婚姻を継続することはできないと考えるようになった。そこで、翌8月2日、相手方は、アパートに戻った申立人と今後のことについて話し合ったところ、申立人が事件本人の引取りを強く求めたことから、申立人の母を呼んで相談した結果、事件本人を岩手に連れて帰ると申立人が何をするか分からないので、申立人が落ち着くまでは申立人の実家で事件本人を預かってもらうことにした。そして、相手方は、岩手で治療をするため、当面の生活費のために預金通帳と銀行のキャッシュカードを申立人に渡して、再度上京した康史とともに岩手の実家に戻った。

エ  相手方は、平成6年8月24日、ようやく歩行することができるようになったので、アパートを引き払い、事件本人を引き取るために上京する旨申立人の実家に連絡し、同年9月5日に両親とともに上京し、翌6日に申立人と今後のことについて話し合った。その話合いの中で、離婚すること及び相手方が事件本人を引取り養育することについては合意したものの、慰謝料の金額で対立し、更に、双方の両親らを交えて話合いをしたが、慰謝料の金額について意見の一致を見なかったことから、これについては後日話合いをすることにした。相手方及び両親は、事件本人を引取り、当面の衣料、薬品等を受け取って、翌7日岩手に帰った。なお、その際に申立人がヒステリー状態になったので、康史は、9月末日までには事件本人を連れて上京し、事件本人を申立人らに会わせることを約束した。

オ  相手方は、平成6年9月9日からリハビリテーションのため北上市の○○整形外科に入院した。同月28日、申立人から相手方の実家に電話があり、同月30日の件について問い合わせてきたので、康史は、相手方の回復が思わしくないので同日の上京はできない旨伝えたところ、更に、同月29日、申立人の父から康史に電話があり、事件本人を引取りに岩手に行く旨告げられたが、康史は、相手方が事件本人を引き取ることになっていたので、これを断った。

申立人の父は、同年10月1日、本件について、申立人代理人の事務所に相談に行き、その結果、同年11月10日申立人から本件申立てがなされた。

カ  相手方は、平成6年11月12日に○○整形外科を退院し、現在は週に2回の割合でリハビリテーションのため通院している。相手方は、未だ立ち作業ができないので、仕事に就いていないが、回復を待って仕事に就く予定でいる。

相手方の家族は、父康史(昭和12年4月5日生。○○○○○ダム管理支所河川管理指導員)、母良子(昭和17年11月23日生。○○○○公社株式会社○○○○店長)及び祖母トミヨ(大正3年5月2日生。無職)であり、普段は相手方が主として事件本人の面倒を見ている。家族の親和状態は良好であって、事件本人の養育監護に協力しており、その養育環境に格別の問題は認められない。

(2)  以上の認定事実によれば、申立人と相手方は、平成6年9月6日、夫婦仲が険悪化したために今後の婚姻関係について話合いをしたところ、離婚すること及び相手方が事件本人を引取り養育することについては一応の合意をみたが、慰謝料の金額で意見が対立したので、後日慰謝料について話合いをすることにし、相手方及びその両親は、事件本人を引取り岩手に帰ったというのである。そして、相手方は、事件本人の出生から申立人と別居する8月2日までの間、入院した期間を除いては申立人とともに事件本人を監護養育してきたのであり、その後、事件本人を引き取ってから今日に至るまでも主として自ら監護養育しているのであって、その監護養育については同居している相手方の両親、祖母の協力を得ており、事件本人の養育環境に格別の問題は認められないのである。そうすると、事件本人が生後約1年の幼女であって、母である申立人と情緒的交流が必要とする成長過程にあることを考慮にいれたとしても、なお、申立人と相手方との婚姻関係を維持するか否かについて最終的な結論を出すまでの間は、事件本人を相手方の許で監護養育させることが事件本人の福祉に合致するものと言うべきである。

よって、本件申立てを却下することとして、主文のとおり審判する。

(家事審判官 高野輝久)

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